浦賀駅

日本が開国に向け動き始めた地

黒船来航(くろふねらいこう)とは、嘉永6年(1853年)に、代将マシュー・ペリーが率いるアメリカ合衆国海軍東インド艦隊の蒸気船2隻を含む艦船4隻が、日本に来航した事件。艦隊は江戸湾入り口の浦賀(神奈川県横須賀市浦賀)沖に停泊し、一部は測量と称して江戸湾奥深くまで侵入した。結果、幕府はペリー一行の久里浜への上陸を認め、そこでアメリカ合衆国大統領国書が幕府に渡され、翌年の日米和親条約締結に至った。日本ではおもに、この事件から明治維新における大政奉還までを「幕末」と呼んでいる。

●浦賀ドック

明治24年(1891年)中島三郎助23回忌にあたり、旧船番所裏手の愛宕山に招魂碑が建てられ、その除幕式の席で、かつて函館戦争のときの同志であった荒井郁之助(函館での海軍奉行)が、「中島三郎助のために浦賀に造船所を造ったらどうか」と提唱し、榎本武揚は即座に賛成して地元の有力者に働きかけ、鳳凰丸建造から約40年後の明治29年(1896年)に浦賀船渠株式会社が創設されました。
これは、招魂碑の碑文にあるとおり、中島の業績を考える時、造船所を造ることが中島の菩提を弔う一番の供養になると考えたからでしょう。
このようにして創設された浦賀ドックは、在郷資本家や技術者が大きく関わりました。
現在の社名「住友重機械工業株式会社」は、昭和44年(1969年)6月に合併してからのものです。

●叶神社 西側

当社は養和元年(1181)神護寺文覚上人が京都、石清水八幡宮より勧請し創建しました。
その由縁は、文覚上人が源頼朝の為に源氏再興を発願し、治承年間(1177〜1180)上総国(千葉)鹿野山に参篭しました。源氏氏神と称え奉る石清水八幡の神に祈念をし、源氏再興の本願が叶えられれば勝地を探し求め八幡の一社を建立、末永く祭祀をせんと誓いをたてました。
養和元年大願成就の前兆を感得し、社殿建立の勝地を求め、各地遍歴の末に鹿野山に相対する浦賀西岸の現在地に石清水八幡宮の神を祭祀する社宇を建立し、文治2年(1186)神の霊験により源氏再興の大願が叶うたところから、叶大明神と称するようになりました。

●叶神社 東側

元禄5年(1692)、江戸幕府の行政政策により、浦賀は東西の浦賀村に別けられた。
行政区域の分離は、それなりに各々の村意識を生じさせるのであって、総鎮守は西岸に所在していたから、長い間、その氏子として叶神社の御神徳を仰ぎ戴いてきたことにより、東岸にも今まで通り、同じ御神徳をと願う信仰心が分霊祭祀となった。
叶神社が2社あるのは諸説あり、「三浦郡志」(大正7年)には、「叶神社、当地には叶神社と称する神社2社あり、一つは東岸新井にあり、一つは西岸宮下にあり。共に村社にして応神天皇を祀り、伝えて養和元年僧文覚の勧請とす。記録によれば、叶神社はもと叶明神と称し、西浦賀に在りて浦賀一村の鎮守なりしが、元禄5年浦賀村分村して、東西に二ヵ村となりしより、東浦賀に叶明神を勧請したりと云ふ。
旧幕府時代の地誌は東叶神社を若宮と書せるにても事情察し難からず、西叶神社は歴代の浦賀奉行毎歳春秋二季に幣帛を献ずるを例とせり。
「新編 相模風土記」巻百二十三には、東浦賀 叶明神社 正保元年(1645)9月19日。西浦賀の本社を勧請し牛頭天王、船玉明神を合祀す。とある。

●cafe & wine みやまさ

開国の街、横須賀の浦賀で老舗の酒屋。設立70年以上!
1988年倉庫の一部を掘って地下にワインセラー。
地下ワインセラーは地下水を利用して夏でも涼しく、一日中の温度変化がほとんどないのです。ワインの長期保存に最適。
2012年2月にカフェがオープン。

●浦賀の渡し

歴史ある渡船、1733年にはすでに操業されています。この航路は『浦賀海道』と言われています。

●浦賀釣りポイント

浦賀港の主な釣り場は「陸軍桟橋」と呼ばれる小さな桟橋です。
釣り場としてはコジンマリとした浦賀港ですが、陸軍桟橋は足場が良いので、ファミリーフィッシングを楽しむ人には重宝されています。

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